茶 道 と 仏 教
平成１６年５月３日 松寿庵 伊藤宗久
はじめに
茶道は、仏教徒、特に禅宗の僧侶が、修行の一環である仏への献茶の所作を発展・独立させ、禅の目的である悟りの境地に至るための一手段として完成させたものということができよう。
こうした茶道と仏教との関係を振り返り、真の侘び茶道を実践するために、現代の茶道に何が必要かを考えてみたい。
そこで、第１章では仏教の真髄である般若心経及び六波羅蜜について説明し、第２章では、茶道成立の基となった禅及び禅宗の教えについて説明し、第３章では、これらの教えの影響を受けて、いかに茶道が成立していったかを説明し、最後に、こうした教えをどのように茶道の実践に生かしていったらよいかをまとめてみた。
第１章 仏教の真髄
１ 般若心経
般若心経は、日本に伝わった仏教である大乗仏教のうちで最もポピュラーな教典であり、「花の教典」とも呼ばれ、仏教の各宗派では勿論、神道でも唱えられている。
西遊記の三蔵法師のモデルである玄奘三蔵の翻訳によるもので、６００巻、６００万文字という膨大な「大般若経」のエッセンスをわずか２６６文字にまとめたもので、大乗仏教の真髄を示すものである。
正しくは「摩訶般若波羅蜜多心経」と言い、「彼岸へ渡るための智慧」を意味する。
２ 般若心経の全文
般若心経は、次のとおり、わずか２６６文字の経典である。
仏説摩訶般若波羅蜜多心経
観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空
度一切苦厄 舎利子 色不異空 空不異色 色即是空
空即是色 受想行識 亦復如是 舎利子 是諸法空相
不生不滅 不垢不浄 不増不減
是故空中無色 無受想行識 無眼耳鼻舌身意
無色声香味触法 無眼界乃至無意識界 無無明亦無無明尽
乃至無老死 亦無老死尽 無苦集滅道 無智亦無得
以無所得故 菩提薩捶 依般若波羅蜜多故 心無罫礙無罫礙
故無有恐怖 遠離一切 顛倒夢想 究竟涅槃 三世諸仏
依般若波羅蜜多故 得阿耨多羅三貌三菩提 故知般若波羅蜜多
是大神呪 是大明呪 是無上呪是無等等呪 能除一切苦
真実不虚 故説般若波羅蜜多呪 即説呪曰 羯諦羯諦
波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶 般若心経
３ 般若心経の要旨
般若心経の要旨は、次のとおりである。
色（肉体や物質）はすべて実体がなく、空であり、それは心がつくり出しているものに過ぎない、
また、心も空である。
したがって、般若波羅蜜多（彼岸に至るための智慧。具体的には六波羅蜜）の実践に努め、この空の境地に達することができれば、全ての苦を除くことができ、彼岸に渡ることができる。
しかし、空の境地は何もないことを自覚しろということではない。何事にもとらわれない自由な心を持てということである。
そして、六波羅蜜の実践に努めること、つまり、悟りに至ることにさえ、とらわれてはならない。
悟りにとらわれることは悟りを得る妨げになるからである。
全てのとらわれから解放されれば、おのずから空の境地に達し、彼岸へ到達することができる。
４ 六波羅蜜
釈迦は出家を何よりも重視し、出家して八正道を実践することにより悟りを得られるとした。
しかし、全ての人が出家することは不可能であるし、出家しない以上悟りは得られないのでは、在家の人には救われる道がないことになるのではないかという疑問が生じ、釈迦の死後６００年ほど経った頃、、出家して八正道を実践することにより悟りを得られるほかに、在家で六波羅蜜を実践すれば悟りを得られるとする仏教が、自然発生的に生まれた。
この仏教は、それまでの仏教と区別して大乗仏教と呼ばれている。
この大乗仏教が、ヒマラヤを越え、中国を経て、日本に伝わったことから、北伝仏教とも呼ばれている。
六波羅蜜とは、彼岸に至るための六つの行という意味であり、それは
布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧の六つである。
布施（ふせ）
人のために惜しみなくプレゼントをすることである。
プレゼントは有形のものに限られない。明るく優しい笑顔で接する顔施、温かい言葉をかける言施、恐怖心を取り除き穏やかな心を与える無畏施、何かをお手伝いする身施、知識や教えなどの法施など、無形のものも含まれる。
持戒（じかい）
してはならない戒律を守ることであり、人を殺したり、嘘を付いたり、不倫をしてはならないといった戒律を守ることに努めることである。
仏教では、「五戒」といって、我々が守るべき５つの基本的な戒律を定めている。
１ 不殺生（いのちあるものを殊更に殺さざるべし）
２ 不偸盗（与えられざるものを手にすることなかるべし）
３ 不邪淫（道ならざる愛欲をおかすことなかるべし）
４ 不妄語（いつわりの言葉を口にすることなかるべし）
５ 不飲酒（酒におぼれてなりわいをおこたることなかるべし）
本分を忘れずに、ルールを守った生き方に努め、人間らしく生活することであり、絶えず他人のことを考え、譲り合って生きることでもある。
忍辱（にんにく）
堪え忍ぶことである。辛いこと、悲しいことがあっても、ヤケを起こさずに、耐えることである。
時には、物事の本質をとらえ、積極的な行動に出ることによって困難な状況を克服することも大切である。
精進（しょうじん）
正しい努力を継続することである。いたずらに結果にとらわれることなく、常に向上心を持って努力を継続することである。
禅定（ぜんじょう）
心を穏やかにして、動揺しないことである。心の中には煩悩の炎が燃えさかっているが、それにとらわれることなく、どんな場面でも心を平静に保つことである。
禅宗の重視する禅も、禅定を発展させたものである。
智慧（ちえ）
正しく物事を見、的確な判断をすることをいう。
布施、持戒、忍辱、精進、禅定の各行を修めれば、心が落ち着き、この智慧が得られる。
第２章 禅及び禅宗
１ 仏教と禅
禅は古代インドにおいては一般的な宗教的修行の方法であった。当時のインドで広く行われていたヨーガの実践過程のうちの精神浄化法の1段階であったものが、釈迦によって仏教の中に採り入れられて、主体的精神的傾向を強めたものである。
禅は、瞑想して心身を統一し、無我無心の境地に到達するための仏道修行法である。
「禅定」ともいわれ、仏道修行者が修めるべき3つの基本的修業である三学のひとつである。
日本に伝わった仏教である大乗仏教では、禅は実践徳目である六波羅蜜の第五に位置され、禅定によって得た智慧で利他の行をすることとされた。
２ 禅宗の成立
その後、中国で、北魏のころ、大乗仏教の一派が、インドから中国へきた達磨が中心となって独自の発達をし、達磨を初祖とする禅宗が成立した。
そこでは禅、その中心である座禅の意味はまったく違って、禅宗では、座禅は六波羅蜜のひとつではなく、その全体を統合した意味内容とされた。
つまり、座禅は単に心の統一を目指しただけのものではなく、座禅そのもののうちに悟りの智慧が含まれているとされた。
そのため座禅は、最も代表的な禅の修行法と一般に考えられるようになっている。
禅宗では、衣食住から労働にわたる日常生活の実践の中に悟りをひらく道があるとし、行住座臥にそれぞれ禅の修行があるとするが、なかでも座禅がもっとも代表的な修行法とされている。
不立文字(ふりゅうもんじ)を原則とし、中心的経典はたてない。
また、悟りの機微は師から弟子にうけつがれるとする師資相承、以心伝心、文字に書いた教えだけでなく全人格的な教えを必要とする教外(きょうげ)別伝などの種々の特徴を有する。
禅宗を日本に最初に伝えたのは栄西である。栄西は鎌倉初期に入宋して臨済宗黄竜派の禅を伝え、鎌倉幕府の帰依を得て京都に建仁寺を開いた。
室町時代に入り、臨済宗は京都や鎌倉を中心として栄え、夢窓疎石などの弟子を出した。
第３章 茶道の成立
１ 遣唐仏教徒達による日本への茶の伝来
日本への茶の伝来時期は、はっきりとはしないが、渡来僧行基（６６８−７４９年）に関する東大寺要録に「茶木を植う」とあることなどからみて、奈良時代には茶が植えられ、平安時代の貴族の間には陸羽の文雅の茶が広まっていたものとみられる（小川後楽「茶の文化史」（ＮＨＫ出版）ｐ６１）。
これには、天台宗の開祖である最澄や真言宗の開祖である空海などの遣唐仏教徒達が果たした役割が大きいと思われる。
しかし、当時の茶は団茶あるいは餅茶と呼ばれる固形の茶であった。
２ 臨済宗の開祖栄西による抹茶の伝来
後に臨済宗の開祖となった栄西は、１１６８年と１１８７年の２回入宋し、２回目は１１９１年に帰国しているが、この時、宋から茶の苗を持ち帰り、背振山（今の佐賀県所在）で栽培する一方、喫茶養生記を著し、この中で茶の薬としての効用を強調している。
もっとも当時の茶は貴重で、二日酔いに苦しむ源実朝に献上して大いに喜ばれるなど、一部の上層部に飲用されるほかは、禅の修行に励む僧の眠気防止のために用いられたようである。
その後、栄西から茶の苗木を贈られた京都栂尾(とがのお)高山寺の明恵（みょうえ）上人（１１７３−１２３２年）は、栂尾で茶を栽培し、一般大衆にもこれを飲用させており、さらに、同所が狭かったことから明恵上人は宇治で茶の栽培を行い、大量に茶が栽培されるようになった。
栄西が宋から伝えた喫茶は、それまでの団茶・餅茶ではなく、当時の宋に広まっていた抹茶であり、早朝に摘んだ茶を蒸し、それを火にあぶって乾燥させてから瓶に詰めて保存し、飲用する直前にこれを臼で挽いて粉末にして湯に溶いて飲むという、今の抹茶の飲み方であった。
この抹茶による茶の飲み方は、その後中国では廃れ、現在では行われていない。
３ 曹洞宗の開祖道元による茶礼の制定
曹洞宗の開祖道元（１２００−５３年）は、１２２７年に宋から帰国し、唐代の厳しい禅の精神への回帰を目指し、修行僧のための日常生活の作法を定めた「永平清規」を著した。
これには僧侶の日常の行往坐臥、喫茶喫飯の作法のほか、佛への献茶、供茶や客人のもてなしなどの儀礼的な茶の作法である茶礼も含まれていた。
この茶礼が、後述する夢窓疎石による台子の茶の湯の成立に、参考とされていると思われる。
４ 臨済宗の最盛期を築いた夢窓疎石によるの湯の誕生
（禅寺における台子の茶の湯の誕生）
台子は、禅寺において仏への献茶の際に用いられる棚であり、筑前の国崇國寺の南浦紹明和尚が宋において虚空禅師から台子の嗣法を受けて文永６年（１２６７年）宋から帰国した際に持ち帰ったとされている。
その後京都の臨済宗・大徳寺に伝わり、足利尊氏の頃、天竜寺を建立し，臨済宗の最盛期を築いた夢窓疎石（１２７５−１３５１年）がこれを用いて茶の湯を始めたとされている（続視聴草）。（桑田忠親著「茶道の逸話」（東京堂出版）ｐ１４）
５ 東山流茶道の成立
足利幕府の六代将軍義教のときに将軍の同朋衆（将軍に仕えた僧形の側近。）であった能阿弥（１３９７−１４７１年）が台子飾り及び点茶の法式を規定し、後花園天皇が将軍義教の元に行幸の折、能阿弥は台子（茶器を飾る棚）に天目茶碗（中国の天目山の麓で焼かれた茶碗）を用いた台子点前で茶を点て、献上している。
これは当時流行した書院造りの広間の床の間に、各種の唐物を飾った上で行う極真台子点前であった。
また、茶の点て方は、それまでの闘茶で行われていた、禅寺で行われていた点茶の方法を大幅に省略した法式ではなく、禅寺で行われていた法式に当時完成した小笠原流の礼法を加えた、武士にふさわしい格式をもったものであり、この点茶法が現在の茶道の原点となっている。
すなわち、ただの遊芸であった茶湯に美術と礼法が加わり、人の踏み行うべき道、つまり茶道という芸術の成立をみたのである。
これを東山流茶道又は能阿弥茶道という。
しかし、これは将軍や上流武家の茶の湯であって、一般大衆の茶の湯ではなかった。
また、外形を重んじる茶であって、心の有り様などには触れられていない茶であり、その点では現在の茶道の原点とはいえない。
６ 禅を中心にした珠光流茶道の成立
（茶禅一味の茶の成立）
奈良の称名寺の僧であった村田珠光（１４２３−１５０２年）は、こうした茶の改革を志して上京し、能阿弥から立花を習った後、大徳寺で一休宗純禅師（１３９３−１４８１年）について禅を学び、宋代の名僧圓悟禅師の墨蹟を授けられ、これを床の間に掛けて茶禅一味の境地を会得したという。
一休禅師は臨済宗の高僧で、大徳寺の住持であり、後小松天皇のご落胤といわれている。
珠光が一休禅師から悟りを得たのは、次のような次第であったという。
ある時、珠光は一休禅師から公案を受けた。
それは、「中国の唐の時代の趙州という禅僧が、自分の元を訪れる僧に「あなたはここに来たことがありますか。」と尋ね、僧の答えが何であっても、「喫茶去（まあ、お茶でも召し上がりなさい。」といったということだが、それはなぜか。」というものだった。
趙州は、茶を飲むという日常茶飯のありふれた行為の中にこそ、真理があると言いたかったのだと考えられる。
珠光はこの公案によって悟りを得、禅の作法を取り入れた草庵の茶を始めたという。、
能阿弥の茶道が書院における豪華な唐物の道具の飾りつけと礼法中心であったのに対し、珠光流茶道は禅を中心にした「心」を重視する、草庵の侘び茶道であった。
例えば、珠光はその著「茶湯者覚悟十体」の中で、茶湯者の心得るべき１０項目のひとつに「心の内より綺麗数奇」を挙げ、「珠光茶湯秘伝書」では、「此の道、第一悪きことは、我慢（慢心）、我執なり。・・・心の師となれ、心を師とせざれと、古人も云はれしなり。」と述べて、心のコントロールの重要さを説いている。（桑田忠親「茶の心」ｐ７東京堂出版）
珠光は、この考えに基づき、次のように、豪華な書院の茶をやつすため、水墨画の描かれた張付床を白紙の鳥子紙にするなどした不足の美を強調した。
「四畳半座敷は珠光の作事也。真の座敷とて鳥子紙の白張付，杉板のふちなし天井、小板ぶき、宝形造（屋根中央に宝球を置き、四方に葺き下ろした、社寺建築に見られる屋根）、１間床也（中略）。」（南坊宗啓著「南方緑」より）
珠光は、引き続き八代将軍義政の同朋衆を務めていた能阿弥に推薦されて、将軍義政の茶道指南となっている。
珠光の茶道を珠光流茶道といい、珠光は現在の茶道の開山といわれている。
７ 武野紹鴎の侘び茶道
武野紹鴎（１５０２〜１５５５年）の父は皮革業を営み、室町幕府の執事であった三好氏の保護を受け、豪商となった。
紹鴎は青年時代から京に上り、歌道を三条西実隆、茶道を珠光の弟子の藤田宗理や十四屋宗悟について学び、珠光流茶道の奥義を極めた
。
のち、堺の南宗寺の大林宗套和尚に参禅し、一閑の居士号を授けられている。
紹鴎の茶道は、連歌の影響を強く受けており、侘び茶道の極意を、連歌の「枯れかじけて寒かれ」であるとしている。
また、紹鴎は、次のように述べて、茶の湯を、自然の妙意を楽しみ、日常茶飯の主客共感を楽しむこととしている。
禅宗では、衣食住から労働にわたる日常生活の実践の中に悟りをひらく道があるとし、行住座臥にそれぞれ禅の修行があるとするが、これはその考え方に従うものであろう。
「茶事もと閑居して物外（ぶつがい：世俗を離れ、人事にあずからないこと）を楽しみ居る所へ知人とぶらひ来て茶点てもてなし、何かなと花を生けてなぐさみ候すがたにて候。」（「紹鴎侘びの文」より）（桑田忠親「茶の心」ｐ２７東京堂出版）
８ 利休による侘び茶の完成
（仏法修行得道の茶道の完成）
茶祖 千 利休居士（１５２２〜１５９１年）は、堺の納屋衆田中与兵衛の子として生まれ、幼名を与四郎と称した。祖父は、足利将軍家の同朋で千阿弥といい、その名をとり、正親町（おおぎまち）天皇より許されて、千姓を名乗った。
利休は、初め東山流の書院茶の流れをくむ北向道陳（きたむきどうちん）に学び、のち紹鴎の弟子となり抛筌斎宗易と名乗った。
また、利休は、紹鴎に従って堺の南宗寺の大林和尚に参禅したほか、大徳寺の正覚普通国師等に参禅し、次いで笑峰宗歌和尚の下に受戒され、「利休」の居士号を付されている。（細谷喜一「茶ごころ」ｐ７３（福村出版株式会社））
こうして東山流書院茶の珠光、紹鴎の流れをくみ侘び草庵の茶を融合して、茶の湯を道として大成し、茶道盛行の基をつくった。
永禄１１年（１５６８年）織田信長が堺に矢銭（やせん：戦国時代、為政者が課した軍用金）を課し、堺を収めようとし、その翌年堺が今井宗久らの仲介により信長と妥協すると、信長は、名物狩りと称して有名茶道具の収集を始めるとともに、今井宗久、津田宗及に加え、利休の３人を取り立て、茶頭（さどう）として出仕させた。
利休は、天正１０年（１５８２年）信長が本能寺において殺害された後は豊臣秀吉に仕え、桃山時代の一大傑物として重んじられ、秀吉から三千石の知行をうけたが、大徳寺に寄進した山門（金毛閣）に、 自像を安置したということや、秀吉との茶の精神的な違い、その他の理由が重なって、秀吉によって切腹を命ぜられ、70歳の命を果てた。 時に天正１９年（１５９１）の２月２８日であった。
利休の完成させた茶の湯は、小座敷で行う仏法の修行得道を基本とする、ごくありふれた日常の営みであり、侘びの茶の湯であった。
利休の高弟南坊宗啓は、利休の言葉を記録した「南方緑」の中で、利休の茶の湯についての考え方を、次のように紹介している。
まず第一に、利休は小座敷の茶室を重用したと、次のように述べている。
「宗易は、又、草ぶきを専らにし、わびを致されし故、紹鴎の座敷も書院と小座敷の間の物と成りし也。」（南坊宗啓著「南方緑」より）
そして、利休の考える、小座敷での茶の湯のあり方を次のように紹介している。
「小座敷の茶の湯は，第一仏法をもって修行得道する事なり。家居の結構、食事の珍味を楽とするは、俗世の事なり。家はもらぬほど、食事は飢えぬ程にて足る事なり。是れ、仏の教え、茶の湯の本意なり。湯を沸かし、茶を点てて、仏に供へ、人にも施し、我も飲み、花をたて、香をたき、皆々仏祖の行ひのあとを学ぶなり。」（南坊宗啓著「南方緑」巻一覚書本緑より）
また、次のエピソードを紹介し、利休の茶の湯が日常茶飯の中にあることを明らかにしている。
「或人、炉と風炉、夏冬茶湯の心持極意承りたしと、宗易に問はれしに、宗易答ふ、夏はいかにも涼しきやう、冬はいかにも暖かきやうに、炭は湯の沸くやうに、茶は服のよきやうに、これにて秘事はすみ候由申されしに、問ふ人不興して、其れは誰も合点の所にて候と云われたれば、又、易の曰く、さあらば、右の心に叶ふやうにてご覧ぜよ。宗易客に参り、御弟子になるべしと申されける。」（南坊宗啓著「南方緑」より）
更に、利休は、茶の本心を表したものとして常に新古今和歌集の中の２首を挙げ、よくよく得心すべき旨述べていたと書いている。
この２首のうち、前者が侘びの境地を表したもの、後者がさびの境地を表したものと、一般に解されている。
特に、前者の侘びの境地を表したとされる１首は、煩悩の燃えさかる心をすべての欲望から解放し、侘びの境地に達することができれば、仏教でいう禅定を得て、正しい考えを得、正しい行動を行うことができ、自ずと悟りの境地に至るということを表したものと考えられる。
「紹鴎のわび茶の湯の心は、新古今集の中、定家朝臣の歌に、
見渡せば、花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の秋の夕暮れ
此の歌の心にてこそあれ、と申されしと也。
花紅葉は、即ち書院台子の結構にたとへたり。その花も紅葉も、つくづくと詠め来たりて見れば、無一物の境界。浦の苫屋也。
花紅葉を知らぬ人の、初めより苫屋には住まれぬ所、詠め詠めてこそ、苫屋のさび住居たる所は見立てたれ。是、、茶の本心たり、と云はれしなり。
又、宗易、今一首見出したりとて、常に二首を書き付け進ぜられしなり。同集家隆の歌に、
花をのみ待つらん人に 山里の 雪間の草の春を見せばや
これ又、相加へて得心すべし。世上の人々、そこの山、かしこの森の花が、いついつ咲くべきかと、明け暮れ外に求めて、世の花紅葉も我が心にあることを知らず、只眼に見ゆる色ばかりを楽しむ也。山里は浦の苫屋も同然のさび住居也。去年一とせの花も紅葉も悉く雪が埋みつくして、なにもなき山里になりて、さびすましたれば、浦の苫屋同意なり。さて又、かの無一物の所よりをのずから感の催す様なる所作か。天然とは、つれづれに、あるは埋みつくしたる雪の、春に成りて陽気を迎へ、雪間雪間の処処に、いかにも青やかなる草が、ほつほつと二葉三葉もえ出でたる如く、力を加へずに真なる所のある道理にとられしなり。」（南坊宗啓著「南方録」より）
こうした利休の茶の湯を実践する場である茶室に、利休は「にじり口」を考案した。
これによって、茶室にはいるためにはいくら地位の高い人でも頭を低くしなければならず、勿論腰の刀は外に置かなければならず、客は地位や身分の高下を忘れて亭主と対等な付き合いをしなければならない。
仏教では、全ての人間は仏の前で平等であるという。 この絶対平等を実践するのが、利休の侘び茶道の究極の目的の一つであったと思う。
更に、利休は、紹鴎が唐物中心から、国内産、更に、朝鮮半島産へと発展したのに続き、引き続き和物や高麗物を重用しながら、楽長治郎と共同して、楽茶碗を開発し、重用した。
黒又は赤一色の作品に、「本来無一物」を実現し、また、もろい素材によって人生のはかなさを象徴したのであり、ものにとらわれることのおろかさと、何物にもとらわれない自由の境地を得て、悟りの境地を目指すことの重要さを示唆しているものと思う。
終わりに
以上説明してきたように、真の茶道、利休の完成させた侘び茶道は、要するに、小座敷における仏教の修行得道である。
つまり、六波羅の実践であり、それによる悟りの境地への到達であり、そのために人に喜んで施しをし（布施）、人の踏み行うべき道を守り（持戒）、辛くても堪え忍び（忍辱）、努力を続け（精進）、心を落ち着かせ（禅定）、正しい判断ができる力（智慧）を得ることが肝要である。
このような観点から現代の茶道を見ると、実に嘆かわしい現状である。
詳しくは、既に述べているので、省略するが、例えば、権勢を誇るような大きな茶席で、高価な道具を用い、そのため肝心の点前が脇に押しやられ、まるで骨董品の鑑賞会のような茶会では、煩悩の炎に油を注ぐ結果となっているのではないか。
物欲をますます刺激する現代にあってこそ、こうした煩悩から少しでも心を解放し、正しい判断ができるような境地に近づけるよう日々努力することがますます重要になっているのではないか。
そこで、茶道の実践に当たっては、まず第１に、客にいかにおいしくお茶を召し上がっていただくかという、ただそのことのみに腐心する心がけが大切であり、第２には、茶道が人の踏み行うべき「道」であることをよく心得、この実践に心がけ、物欲その他、あらゆる煩悩から少しでも心を解放することに日夜努力し、常に心を平静に保ち、正しい考えと行動ができるように心がけることが求められる。
こうした努力を続けながら、心を込めて点てたお茶を客に差し上げ、客に喜んでいただけた時、本当の茶道の喜びを味わうことができる。